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日本一のマンボ「片樋マンボ」後編 [水利施設]

前編でも書いたように,日本でマンボが一番多く分布しているのは,三重県の鈴鹿山脈東麓です。
員弁郡,現在のいなべ市あたりです。
4つの町(北勢町,大安町,藤原町,員弁町)が2003年に合併して,いなべ市となりました。

その中でも,旧大安町にある片樋マンボは,

 総延長     約1000m
 灌漑面積    約7ha

現役の農業水利施設で,地域にとって必要不可欠な水源の一つです。
片樋マンボ保存会によって,管理されています。

その長さや,灌漑面積は日本一と言われています。
いなべ市の中でも,片樋マンボのように残っているマンボは無いそうです。

そのため,
いなべ市(旧大安町)の史跡に指定され,しっかりと整備された見学場所があります。
史跡周辺になると,看板が至る所に…!!予想外でした。


片樋マンボでは,「まんぼ」とひらがなで表記していました。
ひらがなの方が可愛くて,親しみやすいですね。

もともと住宅街の個人の敷地にあったマンボが崩れかけたのをきっかけに,
町がその敷地を買い取り,史跡として整備しました。

写真右から,マンボの横穴へ降りて行きます。


ようやく辿り着けました!!


素掘りの横穴です。
ほんのちょっと地下にもぐっただけなのに,とっても涼しかったです!!
水も冷たくて気持ちよかったです。
スイカが冷やしてありました。

そばにはこんな看板が

片樋マンボの全体図が,かなりわかりやすく書いてあります。


第一期工事が1770年頃始まり,約5年かけて600m掘られました。

水の出が悪くなったことから,約100年後に延長工事として,
第二期工事が1862年開始されましたが,思うように水が得られなかったため,
400mほど掘ったところで中止となりました。


マンボの出口です。水量がかなり増えました。
これから開水路となって,水田へ水を運びます。

片樋マンボの完成は,二人の庄屋が陰で支えていました。
マンボ掘りにかかる莫大な費用を,
第一期工事では富永氏が,
第二期工事では二井氏が,それぞれ私財を投げ打って,工面しました。

二人の庄屋の功績を後生にも残していくため,庄屋墓地が整備されています。


マンボを保存しているというよりは,
現在も使用していて,地域にとって必要不可欠な存在だからこそ,
自治会や保存会が大切に管理して,大切に使っているということが伝わってきました。

垂井町のマンボは西濃用水の導入を契機に,使用数が減少したそうです。
必要ではなくなったから,使っていないものを,今後どのように保全していくのか…。
“使ってないけど,大切だよね”って思えるような,理由付けが必要だと感じました。
垂井町との違いを発見できたことだけでも,かなり勉強になりました。

最後になりましたが,
暑い中,約1kmにも及ぶマンボを,最初から最後まで細かく案内してくださった自治会長さん,
突然の訪問にもかかわらず,片樋マンボについて貴重なお話をたくさんしてくださった元郷土資料館館長さん,
本当にありがとうございました!!



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コメント 2

大坪 義昭

こんにちは!
マンボの記事、拝読しました。
大変 興味を持ちました。

今月、マンボに似たカレーズで灌漑を行っているアフガニスタンの水守(ミラーブ)の方々20名が、この片樋マンボに来られ、意見交換を行う予定が有ります。
もし、ご興味が有れば下記にお電話またはホームページをご覧ください。
実施機関:国際農林業協業協会(JAICAF) Tel:03-5772-7880(西山さん、小林さん)
ホームページ:
http://www.jaicaf.or.jp/news/pressrelease20110829_01.pdf
http://www.jaicaf.or.jp/news/index.htm#1108231

引き続き、読ませていただきます。

by 大坪 義昭 (2011-09-02 09:19) 

佐々木 泰雄

イランのカナートについて調べていたところ、日本にも同じようなものがあることを知り、大変参考になりました。一度現地を訪ねてみたいものです。
by 佐々木 泰雄 (2014-08-09 04:38) 

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