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ため池シンポジウムinあいち2007 [水利施設]

4年の荒川です。
遅くなりましたが,9月15~16日の「ため池シンポジウムinあいち2007」について報告します。

ため池シンポジウムは今年で2回目,
愛知県知多半島の美浜町にある日本福祉大学で開催されました。

1回目は日本一ため池の多い兵庫県で行われました。

知多半島は乏水地のため,
愛知県内の約3000のため池のうち, 約2000が知多半島を含めた尾張地域にあります。
中でも,開催地である美浜町には約400のため池があり,愛知県でダントツの一番です。

それでは,二日間の日程を簡単に紹介します。

15日(土)は,基調講演や行政の取り組み紹介,パネルディスカッションでした。

ため池に生息している水草について詳しく聴くことができました。

パネルディスカッションの様子です。

16日(日)は4つのグループに分かれてのフィールド学習会と,分科会でした。
  ①ため池の生物多様性
  ②ため池の現状と環境保全
  ③ため池の歴史と文化
  ④ため池における環境教育や地域住民との関わり

私は,ため池と人々との関わりに興味があるので,歴史と文化を選びました。

フィールド学習会では,まず
知多半島出身の作家,新美南吉の童謡の舞台にもなった半田池へ行きました。

多くのため池を築造するうちに,各地でため池造りを行う,
ため池築造の技術者集団「黒鍬衆(くろくわしゅう)」が誕生しました。

その後,半田市立博物館へ移動です。
そこで,マンボ発見しました!
知多半島にもいくつかあるそうですが,詳しいことはほとんどわかっていません。
水を運ぶトンネルタイプのマンボが多いそうです。

写真は博物館を造る際,地下にマンボが通っていたため,見学用に設置された縦穴です。

土が溜まって,水は流れていないとのこと。

国指定の天然記念物「カワウの生息地」中央にあたる鵜の池(堂前池)です。

化学肥料が発明される前の江戸末期~明治の頃には,
近隣の農民たちはカワウの糞を集めて,肥料として販売し,莫大な収入を得ていたそうです。
写真中央の木々は,カワウの糞によって枯れています。

今回の感想として,

私の住むところ周辺は名古屋市内でも東部丘陵地で,特にため池が集中していると知りました。
確かに…,あらためて考えてみると,何カ所もあるなぁ~と。
普段何気なくため池の横を通っていますが,それらがどのように整備され,
現状はどうなのかを知ったことで,少し身近に感じられるようになった気がします。

美浜町も,幼い頃から何度となく来ていたので,
新しい発見をたくさんしたことで,
ため池や新美南吉に対して,これまでとは違った視点で捉えられるようになったと思います。

余談ですが,
帰り道,南知多道路のSAで休憩中,
大きな虹を見ました。その大きさと,あまりのきれいな形にびっくりしました。


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日本一のマンボ「片樋マンボ」後編 [水利施設]

前編でも書いたように,日本でマンボが一番多く分布しているのは,三重県の鈴鹿山脈東麓です。
員弁郡,現在のいなべ市あたりです。
4つの町(北勢町,大安町,藤原町,員弁町)が2003年に合併して,いなべ市となりました。

その中でも,旧大安町にある片樋マンボは,

 総延長     約1000m
 灌漑面積    約7ha

現役の農業水利施設で,地域にとって必要不可欠な水源の一つです。
片樋マンボ保存会によって,管理されています。

その長さや,灌漑面積は日本一と言われています。
いなべ市の中でも,片樋マンボのように残っているマンボは無いそうです。

そのため,
いなべ市(旧大安町)の史跡に指定され,しっかりと整備された見学場所があります。
史跡周辺になると,看板が至る所に…!!予想外でした。


片樋マンボでは,「まんぼ」とひらがなで表記していました。
ひらがなの方が可愛くて,親しみやすいですね。

もともと住宅街の個人の敷地にあったマンボが崩れかけたのをきっかけに,
町がその敷地を買い取り,史跡として整備しました。

写真右から,マンボの横穴へ降りて行きます。


ようやく辿り着けました!!


素掘りの横穴です。
ほんのちょっと地下にもぐっただけなのに,とっても涼しかったです!!
水も冷たくて気持ちよかったです。
スイカが冷やしてありました。

そばにはこんな看板が

片樋マンボの全体図が,かなりわかりやすく書いてあります。


第一期工事が1770年頃始まり,約5年かけて600m掘られました。

水の出が悪くなったことから,約100年後に延長工事として,
第二期工事が1862年開始されましたが,思うように水が得られなかったため,
400mほど掘ったところで中止となりました。


マンボの出口です。水量がかなり増えました。
これから開水路となって,水田へ水を運びます。

片樋マンボの完成は,二人の庄屋が陰で支えていました。
マンボ掘りにかかる莫大な費用を,
第一期工事では富永氏が,
第二期工事では二井氏が,それぞれ私財を投げ打って,工面しました。

二人の庄屋の功績を後生にも残していくため,庄屋墓地が整備されています。


マンボを保存しているというよりは,
現在も使用していて,地域にとって必要不可欠な存在だからこそ,
自治会や保存会が大切に管理して,大切に使っているということが伝わってきました。

垂井町のマンボは西濃用水の導入を契機に,使用数が減少したそうです。
必要ではなくなったから,使っていないものを,今後どのように保全していくのか…。
“使ってないけど,大切だよね”って思えるような,理由付けが必要だと感じました。
垂井町との違いを発見できたことだけでも,かなり勉強になりました。

最後になりましたが,
暑い中,約1kmにも及ぶマンボを,最初から最後まで細かく案内してくださった自治会長さん,
突然の訪問にもかかわらず,片樋マンボについて貴重なお話をたくさんしてくださった元郷土資料館館長さん,
本当にありがとうございました!!



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日本一のマンボ「片樋マンボ」前編 [水利施設]

4年の荒川です。
遅くなりましたが,8月26日に三重県いなべ市大安町にある片樋マンボへ見学に行ってきました!

片樋マンボへ行く前に,大安図書館へ寄って資料集めです。
大安図書館は三岐鉄道の大安駅と一緒になった,めずらしい図書館でした。
レンガ造りのレトロな建物です。

奥へ進むと図書館,左へ行くと改札です。

ちょうど,電車がきました!

さて,本題に戻りまして…,

マンボとは,簡単に言うと素掘りの横井戸のことです。
地下5~10mのところにトンネル(地下水路)を掘って,地下水を集めます。
長さは,数10mから1000mを越えるものなどさまざまで,
途中,約30~50mごとに日穴,空気穴とも呼ばれる竪穴を掘り,空気の換気や土砂の排出をし,
完成後は水路の掃除を,竪穴から入って行いました。

イランにあるカナートととても似ています。
カナートはマンボとは比較できないほど大きいので(横穴が数百kmだったり!),
マンボはベビーカナートですね。

水田開発による水不足を解消するため,江戸時代後期~昭和初期にかけて,
特に明治時代に最もさかんに造られました。

マンボは地域によってその名前や形が異なるので,決まった定義はありません。
(読み方→マンボ,マブ,マンボウなどなど 漢字→間夫,間部などなど)
 
分布は主に本州中央辺りの,東海・近畿・北陸などに少しあるようです。
(資料によってバラバラなので,断言できませんが…。)
日本で一番マンボが多く分布しているのは,三重県の鈴鹿山脈東麓の,いなべ市周辺とされています。

マンボには主に2種類あり,
①水源(河川,溜池など)がはっきりいしているもの→水を運ぶ役割が強い
②水源がはっきりしていないもの→河川からの伏流水や水田からの浸透水を集める

前回紹介した,上石津のマンボは①です。

片樋マンボは②のマンボで,水源が明確でないため,
どれくらいの水量が得られるのか,水が出てくるのかさえわかりません。
そんな中,マンボを掘った先人たちの努力はすごいとしか言えません。

それでは,片樋マンボを上流部から,出口に向かって紹介していきます。

製材工場の裏にある雑木林のようなところへ入ると,

なんと,この木々の裏側に最初の竪穴があるのです↓


片樋マンボを管理している自治会の方と実際に竪穴へ下りて,中を説明していただきました。
約5mくらいの深さでしょうか。

竪穴を下りると,素掘りの横穴が!!感動☆☆

素掘りの竪穴が約10~30mごとに数個ありました。
いくつか見ると,竪穴のありそうな場所が予想できるのですが,
全く知らないと,落ちる危険性が…。

竪穴の形もさまざまで,最初は素掘りのままですが,
コンクリートに改修されていたり,

プール状に水が溜まっていたり。すぐ横を主要道路が通っています。

だんたんと出口へ近づくにつれ,水量も増えてきました。
水温は19℃でした。

最初の竪穴から,プール状になった竪穴まで,300m前後じゃないかと思います。
これからマンボは住宅街の下を通り,水田へと続きます。

この片樋マンボが日本一と言われる理由は,後編のお楽しみということで。


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上石津マンボ調査報告 [水利施設]

4年の荒川です。

最近,調査報告するのをすっかり忘れていました…。
話が前後すると思いますが,こまめに報告していきます!!

今回は…,

中澤さんの調査地である上石津にもマンボがあるという話を聞いたので,
8月9日,上石津へ行ってきました。

上多良地区にある宮マンボと馬瀬マンボの二つのマンボを見ることができました。

上石津のマンボは垂井町のマンボとは役割が少し違うようで,
2つのマンボを紹介する前に,簡単に説明をしたいと思います。

上石津は山の多い地形で,谷川も多くあります。
水田へ水を引くには山を越えなければならない…そんなことも少なくありません。
そのため,山の向こう側にある谷川の水を,山にトンネルを掘ることで,水田へ供給しました。
そのトンネルをマンボと呼ぶそうです。

上石津のマンボは水を集めるというより,水を運ぶ役割を担っていると感じました。
トンネルや暗渠に近いかもしれません。

それでは,実際に2つのマンボを見てみましょう☆

<宮マンボ>
上多良地区の宮にあるマンボです。
名前の無いマンボも多く,このマンボの名前も不明なので,私が勝手に付けました。

水源となる牧田川です。
写真右の方から取水していると考えられますが,取水口は確認できませんでした。

2つ見えるのがマンボの掃除用の穴です。
合計7個の掃除穴がありました。

拡大↓↓

学校橋という橋の下をくぐって,開水路になります。

写真奥に見える橋が学校橋です。
写真手前の土の盛り上がったところで,またマンボになります。

マンボになったり,開水路になったりを3回くらい繰り返しながら,水田へ水を運んでいます。

牧田川は写真に見える辺りの水田と平行に流れていますが,
水田の方が高台にあるため,水を引き入れることができません。
そのため,距離は遠くなりますが,
水田よりも高い位置にある上流部からマンボを使って水を運んでいます。
電気や機械が無かった時代の知恵ですね。

<馬瀬マンボ>
上多良地区の馬瀬にあるマンボです。同じく私が名づけ親です。
このマンボの水源は奥田溜池という溜池です。
2つの谷川を堰き止めて造られました。お気に入りの一枚です♪

ここから山の中をマンボが通って,水を運びます。
途中,水田の横を開水路になって通過します。
このマンボは土管ですね。

マンボの分岐点です。
神社と民家の2方向へそれぞれ水を運びます。
ここはコンクリートに改修されています。

民家の方へ繋がっていたマンボの出口です。
本当はコンクリマンボ上の凹んだところに素掘りマンボがあったそうですが,
崩れてしまったため,下に新しくコンクリートで造ったそうです。

コンクリマンボ,こんな感じ↓↓

素掘りのマンボは子供なら通れる大きさで,
小さい頃はよくマンボの中を通って遊んでいたと,民家のおばあちゃんが教えてくれました。

垂井町のマンボしか知らなかった私にとって,
上石津のマンボには新しい発見がたくさんあり,とても参考になりました。


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